CULTURE

甲子園辺り今と昔・その1.阪神パーク

関西以外の地域、例えば東京で「西宮市」といってもなかなかわかってくれませんよね。でも「甲子園球場のある…」といえばたいていは「ああ、あそこ」とわかってくれる(「ええっ、甲子園って大阪でしょ?」という人は多いかも知れませんが)、西宮の超有名エリア、甲子園。

そんな甲子園界隈の歴史について、これからシリーズでお伝えしていきたいと思います。その第一回目、今回は「甲子園阪神パーク」です。

ある程度の年代の皆さんでしたら、実際に訪れられた思い出があるんじゃないでしょうか。

震災以後、阪神パーク住宅遊園になっていた時期

甲子園球場の西側、現在「ららぽーと甲子園」として賑わっている場所には、以前は遊園地「阪神パーク」がありました。

象が居て、モノレールが走っていた

昭和25年に開園した阪神パークには、象やキリン、ペンギン、シロクマ、フラミンゴといった動物園の定番オールスターに加えて、ライオンとヒョウを掛け合わせて生まれた「レオポン」というここにしか居ない動物も居ました。

レオポンは合計五頭生まれ、そのうちの一頭はいまも剥製として鳴尾浜の「リゾ鳴尾浜」に展示されているようです。

飛行塔は晩年、ゴンドラが取り外されていた

また遊園地には地上60メートルの飛行塔、観覧車、ジェットコースター、ゴーカート、急流滑り、回転ブランコなどに加えて「トランポリン」なども「なぜここにこんな?」という感じで設置されていました。

デラックスプールは途中からビーチプールに名前が変わっていた

夏には南国ムードいっぱいのデラックスプール、秋には定番の大菊人形、冬にはオープンスケートリンク。四季それぞれに楽しめる一大レジャー施設でした。

波が打ち寄せるプールや、
長い長い滑り台もあった

しかし震災後くらいから徐々に入園者数が減っきて、それから徐々に飼育されていた動物も減って、空いた園内に住宅展示場がじわじわと増えてくるという謎の展開があり、そして平成15年に閉園してしまいました。

平成15年、閉園

その後、跡地はららぽーと甲子園になってしまったのですね。いまイトーヨーカ堂とららぽーと甲子園の間辺りにある大きな木、あとキッザニア入り口前にある立派な木。これらは実は阪神パークの生き残りです。閉園後も残されて、そのまま植栽として利用されたのですね。

さて、この阪神甲子園駅近くの場所に阪神パークができたのは昭和25年でしたが、実はこれは二代目阪神パークで、初代の阪神パークは戦前に存在していました。場所はずっと南側、もっともっと海に近い場所に。

その頃の甲子園浜は、西隣の香櫨園浜と共に有名な海水浴場で、観光地として賑わっていました。初代の阪神パークはその場所に、水族館を併設した一大レジャーパークとして開設されたのです。

甲子園娯楽場として昭和4年にオープンして、昭和7年に浜甲子園阪神パークに名前を変えて、動物園や水族館を併設しました。かなり大がかりな施設で、東洋一の大水槽があって、さらに海を囲って設置されたプールでは、和歌山県太地町から運んできたゴンドウクジラが泳いでいたそうです。

閉園イベントの会場に展示されていた写真

この初代阪神パークは、戦争が激しくなってきた昭和18年に閉鎖されました。

かつての浜甲子園阪神パークの遺構

80年近く前に閉鎖されたこの初代阪神パークの名残を、実はいまも甲子園浜で見ることができます。

引き潮になると浜辺に現れるコンクリートの遺構がそれです。

浜辺のあちこちに、海藻をまとった古びたコンクリートの壁や塊がちらばっていて、ちょっと不思議な風景が広がっています。昔ははるか沖まで何もない海でしたが、いまは埋め立て地の対岸ができて、水路のようになった海をウインドサーファーが行き交っています。また、千鳥や白鷺もやってきて、西宮市民の憩いの場になっています。

白鷺が遊ぶ浜辺

阪神パークの名残の中でもひときわ有名なのは、ライオンの岩です。園内のどの部分に設置されていたものなのか今となってはよくわからないのですが、ライオン像の顔の部分が残されていて、大潮で潮が大きく引いたときだけ姿を現すのです。

干潮時にだけ姿を現すライオン像。口の中でカニが遊んでいた

遥か戦前から甲子園浜を見守り続けたライオン像。皆さんも一度、探しに出かけてみませんか?