CULTURE

ニシノミヤ・マイスター vol.1| KAZUKO HYOTANI

Profile

俵谷 和子

1970年生まれ。1994年、西宮市立郷土資料館へ就職。2010年、同館学芸員。2020年から現職。 専門は日本民俗学(宗教民俗)。主な著書『高野山信仰と権門貴紳』(岩田書院、2011年)

西宮について深い知識を持つ方々にインタビューし、西宮の歴史や文化を再発見する新企画「ニシノミヤ・マイスター」。初回となる今回は西宮市立郷土資料館の館長・俵谷和子さんにお話をうかがいました。

長年西宮に関する調査・研究を続けている俵谷さんに、西宮の歴史とその特徴を詳しくお聞きしたいと思います。

昔から縁のある西宮で学芸員になる夢を叶える

篠田

本日はよろしくお願いします!早速ですが、俵谷さんと西宮とのご縁について教えてください。

俵谷さん

私の家は神戸市にあるのですが、父が歴史好きで、小さなころから事あるごとに神社仏閣へ連れて行ってくれました。家族で西宮神社や門戸厄神など西宮市に来ることも多く、昔から西宮とは何かとご縁がありました。

直接西宮と関わるようになったのは、西宮市立郷土資料館で働き始めてからですね。お仕事はもちろん、伯⺟が西宮に住んでいたので、郷土資料館で働き始めた平成6(1994)年からしばらくの間は市内から館へ通っていたこともあります。

篠田

俵谷さんが学芸員を目指したのはお父さまの影響なのでしょうか?

俵谷さん

昔から学芸員になりたいと思っていましたが、父の影響ではないと思います(笑)。大学では民俗学を専攻し、とくに宗教民俗の視点から高野山信仰について研究していました。

大学院への進学後、ご縁があってこの西宮市立郷土資料館に嘱託職員として入り、以来ずっとここで務めています。

昔も今も変わらないのが西宮の特徴

篠田

長年郷土資料館で働いている俵谷さんから見て、西宮の特徴はどんなところにあると思いますか?

俵谷さん

西宮の市域は海から山にかけて南北に長く、エリアごとにさまざまな歴史・文化があるのが特徴です。古くから交通の要衝にあり、自然環境を活かした「ものづくり」も盛んでした。今も昔も「人とモノが行き交い、さまざまな文化が交差するまち」なんです。

明治以降の電鉄会社の沿線開発の中で、西宮などの阪神間は大阪や神戸の「郊外」として宣伝され、都市部で働く人々が豊かで健康に暮らせるまちとして移り住むようになります。「各所へのアクセスがよく、自然もモノも豊かで住みやすい」というのが西宮のポイントだと思いますが、これらは近代化の中で洗練され、現代へと繋がっています。

篠田

昔と変わっているようで変わっていない、そんなまちなんですね。お酒造りや名塩の和紙造りなど、西宮のものづくりは現在にも受け継がれていますよね?

俵谷さん

そうですね。江戸時代になると酒造業と製紙業は大いに栄え、地域に経済的な発展をもたらしました。これらはまちづくりにも影響を与えていて、例えば明治7(1874)年に開通した大阪神戸間鉄道(現在のJR神戸線)の敷設には、当時の酒造家たちの意見が反映されたと言われています。

「汽車の黒煙が酒に悪影響を及ぼす」という酒造家たちの反対にあい、まちの中心を結ぶはずの鉄道が、少し離れた現在のルートになったと言われているんです。その他にも、酒造家たちの力で建てられた施設はいくつもありますよ。

篠田

西宮の酒造家たちの力は酒造りだけではなく、まちづくりにも大きな影響を与えていたんですね。

俵谷さん

こうした⻄宮独⾃の⾵⼟を下地に、各鉄道会社による遊園地や運動施設など余暇施設の開発も進められました。その後、施設の跡地などが住宅地として再整備されてきたことが、現在の西宮に続いています。

地域に根付いた文化・産業が、外から来た新たな文化や人々とも上⼿く共⽣していったのが「⻄宮らしさ」なのではないでしょうか。

篠田

「昔から人やモノの往来が盛んなまち」とのことですし、外部のものをすんなり受け入れる素地が西宮にはあるのかもしれませんね。

俵谷さん

今お話しした西宮の歴史や特徴については、西宮市が公開している「西宮市文化財保存活用地域計画」にまとまっています。どなたでもご覧いただけますので、詳しく知りたい方はぜひどうぞ!

西宮市公式サイト「西宮市文化財保存活用地域計画」

インタビュー時に見せていただいた西宮の資料

明らかになりつつある「古代の西宮」

篠田

ところで西宮って「ザ・中心街」のような場所がありませんよね。元々はどこが中心街だったのでしょうか?

俵谷さん

「西宮市」は「西宮町」という西宮神社周辺の町名に由来するので、その辺りが中心街だったことは間違いありません。ですが、その地域が栄える前は津門地域(阪急・阪神今津駅周辺)からその北部にかけてのエリアに中心街があったと考えられています。

「津」の名の通りこの地には港があり、大いに栄えていたようです。陸地化が進む中で人々は現在の西宮神社周辺に移住し、以降そちらが発展したというわけです。

篠田

西宮といえば西宮神社ありきのイメージでしたが、西宮神社が建つ前から人々が住んでいたのですね!

俵谷さん

そうです。むしろある程度人が住んでいたからこそ、えべっさん(西宮神社)もこの地にやってきたのではないでしょうか。

篠田

たしかに、誰もいない土地に神社が建ったりしませんものね。西宮神社が建つ前の「古代の西宮」についてはどんなことが分かっているのですか?

冊子の解説をする俵谷館長

俵谷さん

実は西宮には古墳や遺跡も多数残されていて、近年の発掘調査でさまざまなことが分かってきています。最近では津門大塚町遺跡(アサヒビール西宮工場跡地)で市内初の埋没古墳(※1)が見つかり、これらは古墳時代後期(6世紀ごろ)の古墳だと考えられています。

また、津門地域の北部にある高畑町遺跡(阪急西宮ガーデンズ南部)では、地方官衙(※2)の施設と思われる遺構・遺物が見つかっていて、さらに農耕具の生産を行っていたと考えられる遺物も見つかっているんです。

津門地域の遺跡や高畑町遺跡は古代の西宮を紐解くカギになると思います。

※1:土の下に埋まっている古墳
※2:かんが、古代の役所のこと

篠田

今からおよそ1,500年前には阪急今津線沿いが西宮のメインエリアだった可能性があるんですね!西宮神社のイメージが強かったのでちょっと意外です。

西宮市立郷土資料館ではさまざまな情報発信を予定中

インタビューに答える俵谷館長

篠田

西宮市立郷土資料館さんの今後の展望があれば教えてください。

俵谷さん

西宮市立郷土資料館は2025年で開館40年を迎えます。これまでの調査・研究の蓄積を活かし、情報を積極的に発信していきたいと思っています。展示はもちろん、資料のデジタル公開、オンラインによる学校との連携なども考えていますのでお楽しみに!

また、先ほどもお話ししたように、西宮の酒造りはまちづくりにも大きな貢献をしています。令和2年度に認定された日本遺産「伊丹諸白と灘の生一本」のストーリーを通じて、清酒のスタンダードを築いた「西宮の酒」について、皆さんにもっと深く知ってもらえるような取り組みもしていけたらいいなと思っています。

▼「伊丹諸白と灘の生一本」についてはこちら▼
日本遺産ポータルサイト

篠田

資料館の収蔵資料は4万点近くあると伺っています。今後どんなものが見られるか楽しみです!

日本酒というと昨今は地方の地酒が注目されがちですが、そういう状況だからこそ大手の底力を感じてほしいですね。俵谷さん、本日はありがとうございました!

▼西宮市立郷土資料館についてはこちら▼

ニシマグレポート記事 ▶ 西宮市立郷土資料館で我がまちの歴史と文化財を知る
西宮市役所HP西宮市郷土資料館