PEOPLE

西宮人 vol.8│SAWA DANJOBARA

Profile

弾正原 佐和(だんじょうばら さわ)

1993 年に白鹿記念酒造博物館にて学芸員として勤務、2021 から館長。
明治2年築の木造蔵を利用した「酒蔵館」では伝統的な酒造りの全工程を、「記念館」では所蔵している豊富な史料から日本酒にまつわる多彩なテーマを取り上げた展示や、日本一ともいわれる桜のコレクション「笹部さくらコレクション」(西宮市より寄託)等をご紹介し、灘五郷を有する西宮市にある、日本にただひとつの「日本酒」と「さくら」をテーマとする博物館として魅力を発信しています。

NANA

西宮にゆかりのある、活躍されている方を紹介する「西宮人」第八弾!
酒ミュージアムの館長、弾正原佐和さんです。本日はよろしくお願いします。

弾正原さん

よろしくお願いします。

NANA

弾正原さんって初めて聞く苗字です。ご出身はどちらですか?

弾正原さん

出身は香川県です。でも大学進学で西宮に来たので、香川県にいた年数よりも西宮に住んでいる年数のほうが長いです。西宮は第二のふるさとだと感じています。大阪や神戸に出掛けて、西宮に帰ってくるとほっとします。

NANA

大学生のとき西宮に来られたんですね。そこからどういった経緯で館長になったんですか?

「館長をやってみませんか」

弾正原さん

大学卒業後、学芸員としてこの博物館で勤務を始めました。10年前に館長代行、その後副館長となったのですが、今年になって理事長から「館長をやってみませんか」という話をいただきました。その時はその役割が務まるかどうかとても悩みました。

NANA

そうなんですね。どうして悩まれたんですか?

弾正原さん

館長は博物館の活動を皆様に知っていただくための顔としての役割がありますので、責任の重大さを感じて。コロナウイルス感染症以降、今まで通りの運営ではなく、新しい視点による博物館活動も必要ですし、自分一人では網羅できない・・・。そんな中、理事長から「育てる・育てあう」という理念で、館のメンバーと一緒に博物館をうまく動かしていくと考えてはどうですかと言われ、これをきっかけに、改めて博物館はチームであり、自分のできることに取り組んでいこうと思えました。

日本酒とさくらの歴史、文化を伝えるために

NANA

館長として普段はどのようなお仕事をされているんですか?

弾正原さん

普段の仕事ですか。何でもやります。でも、この博物館の設立趣意である「日本酒の歴史と文化を後世に正しく伝え、この事業を永久に続けていくこと」が根底にありますので、このことを時代や状況に合わせた方法で実施していくため、博物館のメンバーと共に、まずは皆さんに酒ミュージアムを知っていただくことを目標に活動しています。

NANA

なるほど。お酒の文化と歴史を後世に残すということを軸にお仕事されているんですね。HPを拝見したのですが、酒トークもその一つですかね?

★白鹿記念酒蔵博物館公式HP★

弾正原さん

HPをご覧いただいてありがとうございます。今年の3月にHPをリニューアルしました。
酒ミュージアムとしての強みは、日本でただ一つの日本酒と桜の博物館であること、これをキャッチコピーにしました。特に西宮市から寄託を受けている「笹部さくらコレクション」が酒ミュージアムにあることはまだまだ知られていないので、学芸員発信の酒と桜のコラムを月に一度更新することで、情報を積み重ねています。興味を持っていただける方を増やしていくことが目標です。

NANA

弾正原さんもコラムを書かれているんですか?

弾正原さん

いえ、お酒を専門にしている学芸員、桜を専門にしている学芸員がそれぞれコラムを担当しています。私はコラムが掲載される前に内容を確認します。
コラムは外国の方にも読んで頂きたいので、英語訳も掲載しています。専門的な用語が使われていますが、館のメンバーが英訳を担当しているので、伝えたい内容に合った英語訳になっています。正しく知っていただき、興味を持つ入口になれば嬉しいです。

NANA

外国の方にも伝わるといいですね♪ ところで博物館には普段はどんなお客様が来られるんですか?

弾正原さん

どなたでも自由にご来館いただけます。ご来館いただくお客様は30~40代以上の方が多いように思います。それから小学生の社会見学も多いです。西宮市では小学校3年生の授業で地場産業を知る中で、なぜ西宮でお酒造りが盛んになったのかといった理由を学びます。お酒について知ることは地域を知ることにつながります。昨年には、江戸時代から酒造りが盛んであるこの地域(伊丹市、尼崎市、西宮市、芦屋市、神戸市)が、日本酒をテーマにした日本遺産に認定されました。地元を知るためにも、ぜひ酒ミュージアムを活用していただきたいなと思います。

NANA

西宮の小学生はお酒造りについて学ぶ機会があるんですね。では博物館の見どころを教えてください!

日本酒から考える当時の生活や文化

弾正原さん

酒蔵館は、明治2(1869)年に建てられた酒蔵を利用していて、酒造道具を見ていただき
ながらお酒造りについて知ることができる施設です。記念館では所蔵している資料から酒資料室展示、笹部さくら資料室展示、季節の美術展示と年間に10展示開催しています。酒造りの歴史は生活文化遺産でもあるので、大きなテーマは暮らしです。お酒についてだと、酒蔵館では酒の造り方を展示、記念館では酒造りに関係しての米や水について、流通、飲酒・食文化、酒器、文学など、本当に裾野が広いんです。特に昔の飲酒風景が描かれた浮世絵は人気があります。季節の展示の一つには、西宮神社の十日えびすに合せた年末年始の恒例の吉祥展として、堀内ゑびすコレクション展を開催しています。

NANA

当時のお酒造りや飲酒文化に触れられるんですね。

笹部さくらコレクション

弾正原さん

そして西宮市から笹部さくらコレクションをお預かりしていて、春には春季展、その他の時期も資料をご覧いただけます。このコレクションを集めた笹部新太郎さんは、大阪で生れて、最後は神戸に住むのですが、集めた資料は西宮市に寄贈されました。こうしてお話すると、お酒も桜もえびすも、共通しているのは西宮なんです。

NANA

笹部さんはどうして西宮市に資料を寄贈されたんでしょうか?

弾正原さん

戦後に、満池谷にある越水浄水場に桜の名所をつくろうとなって、西宮市が笹部さんに桜の植樹や育成の管理指導を依頼するんですね。笹部さんは、91年の生涯を日本に古くからある山桜や里桜の保護と育成に打ち込んだ方です。西宮市の桜事業に関わったときは60歳半ばでした。
笹部さんは桜は生き物であることを一番に考え、種から育てたり接木をした桜を自分の子どものように愛情を注いでいました。なので、「桜を植えてください」のお願いだけでは終らないんですよね。植えたら世話をしないと桜は枯れてしまうので、薬をかけたり、良い土にしたり、水やりをすることが続けられるかを確認して植樹の依頼に応じました。桜のこととなると何時間でも語り続ける笹部さんに西宮市の担当者として会われたのが、後に助役となる故南野三郎さんでした。南野さんをはじめ西宮市の方は、笹部さんの指導を守り越水浄水場を桜の名所にしていきます。南野さんは笹部さんが亡くなるまで公私にわたって長くお付き合いされ、こういったことから笹部さんは桜や収集した資料のことを西宮市に託されたのです。この人と人との付き合いがなければ、寄贈されることはなかったと思います。

NANA

西宮の人の桜に対するはたらきによっては、寄贈されていなかったかもしれませんね。

残そうとしてきた人びとのはたらき

弾正原さん

展示品には古いものがありますが、やっぱりそれも、人が残そうと思ったから残っているんです。戦争があったり、地震や水害があったり、酒蔵だから火事も多いんですね。そのなかをくぐり抜けて残そうと守られてきたものを受け継いだ自分たちが、どうやってそれらを今の世の中に生かしていくかっていうのが大事だと思います。残された史料でくずし字と呼ばれるミミズが這っているような文字を読んでいくと、いろいろなことがわかってきます。つい最近では、酒担当の学芸員が読んだ江戸時代の手紙の中に、お酒を良い状態で保存するために暑さ対策をした特別な倉庫を建てた、といったことが書かれていました。江戸時代の終わり頃のことですが、今と変らない人の思いや働きに、150年以上前の事が身近に感じられました。こういった面白さがコラムや展示、講演会などを通じて、皆さんの興味につながればと思います。

NANA

博物館に行くと古いものがたくさんあるけど、残すのってきっと大変ですよね。

弾正原さん

そうですね。残そうとしてきた人の動きや、どれだけの人がそこに関わっているのか想像していただけたらすごく嬉しいです。

NANA

貴重ですね。

西宮の好きなところ

NANA

最後に西宮の好きなところは何ですか?

弾正原さん

その土地で長く住んでいると、日常の小さな喜びがあります。「夙川公園の紅葉がきれいだな」、「あのお店のパン美味しかったな」とか。生活が西宮にあるので、暮らしているからこその愛着があります。ずーっと住んでいて西宮から出たいと思ったことがないんです…。そういう風に思わせてくれる場所なんだなっていうところが好きですかね。

NANA

西宮のことを知る良い機会になりました。
本日はお忙しい中ありがとうございました♪

弾正原さん

ありがとうございました!