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西宮人vol.13 CHIE YONEMITSU

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米光 智恵(よねみつ ちえ)

絵描き。クリスチャン。
小学生の2児の育児に奮闘する母でもある。
5歳から兵庫県西宮市に在住。
9歳で阪神淡路大震災を経験。
被災児童としてセルビア政府が企画した招待旅行に参加し、アートと出会う。

以後、災害後トラウマや愛着をテーマに筆をとり人々の絆や痛みを描き続けている。
西宮市教育委員会発行の人権啓発冊子の挿絵・執筆他、市内の小中学校で図工美術の教鞭を執る。

《略歴》
西宮市立平木小学校 図工教師
関西学院中学部 美術非常勤講師
神戸女学院中学部 美術非常勤講師

昨年に続き、ニシマグでは今年も大社小学校のコミュニティスクール活動の一環であるキャリア教育について取材しました。キャリア教育で今年ご登壇された米光(よねみつ)さんとご縁があり、西宮人の第17回目のゲストとしてご登場をお願いしました。

米光さんは略歴にもある通り、西宮で絵描きと美術教師として活動されており、在住は30年を超すバリバリの西宮人です。キャリア教室でお話しされていた仕事のことや、西宮のこと、アートについてなど、幅広く興味深い話を伺ってきましたので、ぜひご覧ください。

【米光智恵Webサイト こころでアート】

〜色と形で伝えるお仕事〜絵描き、美術教師になったきっかけは?

今回は、米光さんのご自宅リビングにお招きいただき取材させていただきました。見渡す限りあらゆるところにお子様、教え子さん、米光さんの作品、楽器などが飾られており、興味深いお話が聞ける気配が漂っています。

コウヤマ

よろしくお願いいたします。

キャリア教育でもお話しされておりましたが、絵描きと美術教師という絵を仕事とすることのきっかけはどのようなことでしたか?

米光さん

あらためて振り返ってみますと、セルビア(旧ユーゴスラビア)で現地の方たちと、アートを通して交流を持てたことが大きなきっかけになっています。

順を追ってお話ししますね。

小さな頃から絵を描くことが大好きで、お絵描き帳とペンがあれば静かにしているような子どもだったと母からは聞いています。

9歳の時に阪神淡路大震災に遭いまして、やはり子どもながらに大きな衝撃を受けたようでした。

自分ではあまり覚えていないのですが、泣くこと、笑うことさえできない症状がでていたようです。

周囲から見るとずっと無表情だったんです。

これは震災にあった子どもには、しばしば共通して現れる症状だったようです。

コウヤマ

震災当時も西宮在住だったんですね。
災害後トラウマなどのテーマも、そこからつながっているわけですね。

米光さん

はい。

そういった子どもに向けて諸外国から様々な支援がありました。

物質的な支援に限らず、心のケアに繋がる支援も多かったです。

その一つに、セルビア政府(旧ユーゴスラビア)による招待旅行がありました。

91-95年当時、旧ユーゴスラビアではあちこちで紛争が起きていました。

この紛争で傷ついた弱い立場の人たちは次々と現セルビアに逃げて来ていました。

国立ガンセンターや難民キャンプは唯一子どもたちが治療に専念できる施設でした。

日本は以前より物資や薬などを支援しており、その感謝の意として、セルビアから被災児童へ向けた招待状が届きました。

私は母からの勧めもあり、このプログラムに参加することにしたのです。

ガンセンターでは闘病中の少年と交流する機会があり、ベッドの上で作ったピエロをもらいました。

米光さん

また、難民キャンプでは少女モニカちゃん(8歳)と交流しました。

父と兄が紛争にとられ、母が寝込んでしまったのだと打ち明けてくれました。

モニカちゃんが私に見せてくれた絵です。

表情や生き生きした線から心の傷が回復に向かっているのが分かります。

米光さん

当時のセルビアの人たちも、紛争という大きな問題を抱えて大変な状況だったと思うんです。

それでも、遠い国から来た被災児童に向けて我が子のように向かえてくださり、温かな時間をつくって下さいました。

セルビアの家族との交わりの中で、だんだんと笑顔を取り戻すことができました。

〝震災と戦争は違うけれど、大切なものを失った悲しみは同じ〟という視点に立って、心の痛みを分け合えた体験でした。

また、人と人の間に色と形が仲介することで、心の傷が可視化されて、癒しに向かっていくのだなと気づきました。

この時の気づきが、今の仕事の原動力になっています。

福祉と教育の現場を駆けるフリーランス

コウヤマ

現在は、どのような形でお仕事をされているのですか。

米光さん

ここ数年は母親業をしながら、学校と福祉施設、個人宅を行き来する働き方をとっています。

今年でいえば、
・神戸女学院中学部で週に1日、生徒たちに美術の教科指導
・児童発達支援センターや、地域のアトリエでの活動
・ホームエデュケーションを選択されているお宅を訪問し、創作支援
・画業
・キャリア教育などの活動
といった感じです。

こちらは画業で継続的に携わられている西宮市の人権啓発冊子です。表紙や挿絵を担当されています。

コウヤマ

個別にそれぞれのお仕事についても聞かせてください。

米光さん

神戸女学院中学部での美術教師のお仕事は、教育に携わる機会として重要視しています。

もともと市内の小中学校の図工、美術の教師をしていたため、美術の教育には継続して関わっていきたいですね。

神戸女学院は2025年には150周年を迎える歴史ある学校です。

創立から携わってきた先生方の教育方針を強く感じながら、子どもたちの笑顔に触れられる大切なお仕事です。

創設者タルカット先生や建築家ヴォーリズ先生といった、神戸女学院での教育の礎を築いた先人の思いに触れると背筋が伸びる思いがします。

コウヤマ

学校教育の現場でも今も活躍してらっしゃるんですね。

児童発達支援センターや地域のアトリエではどんなことをしているんですか。

米光さん

児童発達支援センターや地域のアトリエでは、お子様に集まってもらって一緒に作品を作る場を提供しています。

やっぱり作品を作るのは楽しいんです。

絵を描く一つの原動力は作品を通して笑顔に会えることですね。

絵だけではなく陶芸や立体制作などを行うこともあります。

コウヤマ

不勉強ですみません。

ホームエデュケーションって、どのような形の学習なんですか。

米光さん

ホームエデュケーション(アン・スクール等とも呼びます)の訪問授業については、学校に行きづらい子どものケア、不登校支援を兼ねた活動です。

コロナをきっかけに学校に行きづらくなった、もしくはそれ以前に行かない選択をしているお子さんは実はたくさんいるんですね。

そんなお子さんのお宅に直接伺って、そちらでアートに触れる学習機会を作ります。

コウヤマ

どのようなきっかけでホームエデュケーションに携わるようになったのですか。

米光さん

教師や発達支援センター、そして育児の中からこの課題が浮かび上がり、「私にできることは何かな?」ということへの答えとして、学習やアートに触れる場を提供しています。

学校に行きづらかったり、不登校の子どもたちも、学習や美術をすることが嫌なのではないことが多いんです。

ただ、きっかけが無かったり、個人の特性などで学校に行きづらくなっていたりとそれぞれの事情がある。

それでも、学校と子どもは切り離すべきではなく、少しでも繋がりを残す役割を果たしたいです。

色と形を通して、子どもたちと会えるので、とても楽しい時間を持てることが多いです。

コウヤマ

それぞれ形は違えど「アート」を軸に学習の場を提供するお仕事ですね。

米光さん

いろいろな場に招かれている間は、一か所に固定せず、アートの種をまき続けていたいです。

コウヤマ

なかなかお忙しそうですね。

どんな感じで一日を過ごされているのですか?

米光さん

例えば、ホームエデュケーションのお宅訪問日の例はこんな感じです。

10:00- 子ども達を小学校へお見送り
10:30- 学校の花壇まわりを散歩、創作のヒント探し
11:00- 校門を出る。
11:30-12:30 家事や昼食
13:00-15:30 図工美術の題材研究、執筆、制作
15:45-17:30 ホームエデュケーション先のお宅へ
18:15- 帰宅
19:00-20:00 お風呂と家族団らん
20:00-22:00 寝かしつけバトル。最近は連敗中
22:30- 寝かしつけバトル第二幕

西宮の教育機関と子どもたちの間に

米光さん

今は美術教育だけではなく、福祉など複数のお仕事に携わることで、アートと人の関わりについて、ちょうどいい位置から取り組めていると感じています。

学校現場に以前はフルタイムで在籍していたからこそ、教育の必要性を間違いなく感じているんです。

ただ、学校現場の内と外を繋ぐパイプとなる人がもっと増えてもいいように思っています。

積極的に自分がそのパイプになることで、ヒト•モノ•コトをもっと柔軟に捉えられるのではないかと考えています。

地域づくりや教育現場への支援は、多様化•複雑化する社会で生きている子どもたちへの最高のプレゼントになると考え、手探りではありますが動き出したところです。

コウヤマ

学校の内・外・間にいて、自由な立場と視点でアートや教育に携わる形なんですね。

活動を多様化させながら、学校と子どもという関係の大切さも重要視されていて、そこは切り離さないように大切に残す。

そのうえで、適切な携わり方を作り上げているところ、なんですかね。

米光さん

はい。

実は、その成果を感じられることが最近ありました。

今のようなカタチで仕事をしていて、嬉しかったことの一つが教師時代の生徒が訪ねてくれることなんです。

成長した姿を見せてくれた時、うれしくて涙が溢れてきそうになります。

大人になった今でも、絵や文章、演劇などの大好きなことに向かい、表現しつづけている。

そんな教え子と再会した時に何とも言えない喜びを感じます。

「点と点が繋がり、一本の線になり、やがては絵になっていくように、子どもたちの成長を捉える。」

そんなイメージで出会った子どもたちの背中を押せる人になりたいです。

西宮との関わりかた

コウヤマ

西宮在住がとても長いですよね。

西宮で活動を続けられているなかで、感じる良いところってどんなところでしょう?

米光さん

いくつかあるんですが・・・。

一つは、西宮市文化振興財団が主催する野外アートフェスティバルが好きですね。

すごく自然な形でのアートとのふれあいを提供してくれるんです。

毎年秋に実施されています。

赤ちゃんからお年寄りまでが参加できるので、ぜひ行ってみてください。

西宮市文化振興財団による野外アートフェスティバル

米光さん

また、個人のアイデンティティを尊重し、交流への発展ができる土壌もとても気に入っています。

前任校である平木小学校の近くには朝鮮初級学校があり、両校の間には古くから交流がありました。

お互いのアイデンティティを知らないから地域の課題をそのままにするのではなく、お互いを知ることから、より温かで創造的なコミュニティづくりへと繋がります。

例えば、チマチョゴリ衣装にチャンゴ演奏、トックスープにチュギチャギ遊び。

文化や伝統の継承と共存は本当は難しいことはなく、とってもカジュアルで魅力的なんです。

そんな素敵な交流の場づくりに尽力された先生方、輪を取り次ぐ姿がとても印象的です。

西宮民族子ども会「コッキリの会」

将来のビジョン「アートカフェ」

コウヤマ

これからの活動として予定されていることはありますか。

米光さん

この先、将来のビジョンとして、求められる場所でアートカフェを作りたいと考えています。

これは就労支援を兼ねた場所作りですね。

アール・ブリュットやアウトサイダーアートと呼ばれるジャンル(あまりジャンル分けするのはよくないとは思うのですが)の作品を産み出すアーティストにとって、絵を描くことが仕事に繋がらない状況があります。

そうした方々への活動の場を提供すること、そして子どもたちが広くアートに触れる入り口にもしていきたいですね。

将来のビジョンについては、「晩年」のビジョンとも語られておりました。

話の中で出てきた「福祉と教育の現場を”かける”」というキャッチフレーズについて、どのような漢字を当てるのですかと伺ってみました。

「”駆けたい”し、”架けたい”んですよね。

そして、”描けた”らいいなって。

頭の中のキャンバスにビジョンを描いて、現場を駆けたい。

その時、その場所で必要とされる橋を架ける人になりたい。」

「周囲の方々の理解を得ながら、先ずは45歳まで駆けてみたいです。」という言葉から”駆ける”の字を当てたのですが、いずれの”かける”にも該当する志といえそうです。

母親としても、自分としても、目の前のことに仕える精神で、米光さんは駆けていくのだなと、そう確信できたインタビューでした。

この記事を書いた人

コウヤマヒロシ

ライター

西宮在住10年くらいの兼業主夫ライターです。 二児の父。 地元の方から教わったお店や子供と遊べるスポットなど、フットワーク軽く発信していきます。

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