PEOPLE
2023.08.09
永井アコ
西宮人vol.14 HIROSHI OOTA
西宮で活躍する方々を紹介する『西宮人』。
第18回目の今回は、半世紀以上もの長い間、西宮市にあらゆる形で貢献され、市民の文化を陰ながら築き続けてきた中心人物でもある太田博さんにお話を伺いました。
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太田 博 氏 プロフィール
20代の時に長野県から西宮に移り住む。
関西技術コンサルタント㈱代表取締役として会社を経営しながら、西宮青年会議所で活躍し、西宮「市民祭り協議会」の発足を提唱、現在の市民祭りの礎を築いた。
その後、(社)西宮青年会議所理事長、西宮ロータリークラブ会長、西宮市国際交流協会理事長、西宮商工会議所常議員、兵庫県測量設計業協会会長など、数々の団体の要職を歴任し、西宮市の地域発展に尽力。
平成12年に黄綬褒章受章(測量業)、平成18年に藍綬褒章受章(調停委員)、平成21年に西宮市民文化賞受賞、平成23年には旭日双光章叙勲。
歴代の西宮市長と共に、中国の紹興市を始めとした海外姉妹都市の提携、文化交流にも深く貢献し、今もなお、市民を主体とした国際交流を推進している。
~もともと縁もゆかりもなかった西宮。「市民祭りの発案者」となるまでの道のり~
筆者
まずは、長きに渡り、西宮市の様々な団体でご活躍されてきた功績をお持ちの太田さんの、西宮とのご自身の関係を教えてください。
太田さん
実は、私は長野県信州の生まれで、西宮市とは血縁も地縁もありませんでした。
長野県の黒四(黒部ダム)の建設事務所で働いていたのですが、上司が西宮市出身だったんです。
その上司が測量会社を西宮市で始めるという事で共に移り住み、そして28歳の時に私が社長となりました。
そして、西宮青年会議所に所属し、そこから私の西宮市との深い関係が始まりました。
筆者
西宮で生まれ育ったという訳ではなかったのですね…!
今年で48回目となる『にしのみや市民祭り』の発案者のお一人でもいらっしゃいますよね。始まった当初の事を、お聞かせください。
太田さん
もともと西宮市民祭りは、西宮青年会議所が主催していました。
しかし、市民祭りは市民全体のものであり、色んな人や団体の協力を得るべきだと考え、当時西宮市長だった辰馬さんに会長として就任してもらい、「市民祭り協議会」を新たに発足しようと提唱しました。
青年会議所が主催していた第5回目までは西宮神社の境内でお祭りを行っていたんですが、全ての西宮市民がお祭りに来られるようにと、協議会が主催する第6回目からは、西宮球場で開催することとなりました。
西宮球場が無くなってからは、市役所周辺で行う今の形へと変わって行きました。
筆者
発足から今まで、本当に色々な事があったと思いますが、当時と今と、市民祭りにおいて変わらないことはありますか?
太田さん
今年で48回目になりますが、一貫して変わらないのは「青年会議所、市民祭り協議会が中心として、市民皆で協力しながら、市民皆のために開催している」ということですね。
筆者
次回の市民祭りが今年は10月28日に予定されていますが、太田さんはどんなことを期待されていますか?
太田さん
市民祭りの提唱人として、やはり発足当時の初志が活かされたら良いなと思いますね。
今年の事ではありませんが、実は2000年に、西宮ロータリークラブで市役所前の公園にタイムカプセルを埋めていて、2025年に開けることになっているんです。
当時の市の資料や、小学生や中学生の作文など、阪神大震災の直後だったこともあり、皆の色々な想いをカプセルに詰め込みました。
2025年は、市政100周年であり、市民祭りの50回目でもあるので、記念事業のひとつとしてやって欲しいと楽しみにしています。
~太田さんが繋いだ 西宮と4つの海外姉妹・友好都市の 美しく、温かい関係~
筆者
太田さんは、西宮市国際交流協会の設立にも参画され、西宮の姉妹都市との文化交流にも貢献されています。西宮には、今どこに姉妹都市があるのでしょうか。
太田さん
現在西宮市には4つの海外姉妹・友好都市があります。
1961年にアメリカのスポーケン市と、
1977年にブラジルのロンドリーナ市と、
1985年に中国の紹興市と、
そして1992年に、フランスのロット・エ・ガロンヌ県及びアジャン市
と、姉妹都市を提携し、ずっと交流を続けています。
提携の際には、フランスや中国に私も市長と共に訪れ、調印しました。
大抵、他のどこの市も姉妹都市は1~2つという所が多いのですが、西宮のように4つも海外姉妹都市があるというのは、かなり珍しいと思います。
筆者
海外の姉妹・友好都市とは、どのような交流が行われているのですか?
太田さん
例えば、中国の紹興市だと、毎年紹興市の市職員が一年間西宮に研修に来ています。
また、紹興市の医学生を兵庫医大に留学させ研修を行ったり、文化的かつ人的交流を行ったりしています。
コロナで一時中断していましたが、今年から再開しました。
その他にも、中国で卓球大会を開催したり、アメリカのスポケーン市のライラック祭りに参加したり、フランスに子どものサッカーチームを派遣したり、それぞれの都市の子どもたちの絵画を交換して展示したり…と色々な事を行ってきました。
今は、文化的・人的交流に加え、経済的交流も進められています。
筆者
毎年紹興市から研修生が来ていたとは、驚きです!
太田さんは、西宮・紹興友好交流協会会長も務められていらっしゃいますね。
紹興市と言えば、あの中国の代表的なお酒、紹興酒の街ですよね。
太田さん
はい、そうです。
もともと、西宮市は酒造の街だからということで、中国の酒の街と姉妹都市になろうと、紹興市との交流が始まったんです。
紹興市には「蘭亭」という名園があるのですが、西宮の北山植物園に、紹興市の協力を得てその蘭亭にちなんだ「小蘭亭」を建設しました。
この小蘭亭で「曲水の宴」という、十二単・中国服を着て伝統的な詩歌をしたためる宴を、建設当時から今年まで30回開催しています。
小蘭亭は、経年劣化により最近解体されてしまいましたが、今でも石碑が置かれていますので、是非一度「曲水の宴」を見に行ってみてください。
【曲水の宴】北山植物園での実際の宴の様子。
西宮・紹興友好交流協会HPから引用
~ずっと西宮を支えてきた太田さんが、これからの西宮に期待すること~
筆者
すごく素敵ですね!こんな優雅な宴を近くで見られることは、なかなか無さそうです。
では、太田さんの考える「西宮の良いところ」は何だと思われますか?
太田さん
まず一つめは、『よそものを温かく受け入れる西宮の体質』ですね。
長野県から西宮に移住してきた時、青年会議所のメンバーを含め、周りの西宮市民の人々から、「よそもの」として扱われることなく受け入れてもらい、とても嬉しかったです。その体質は、今でも続いていると思います。
二つめは、『教育環境』です。西宮には大学が8つもあり、非常に子ども、若者への教育環境が整っていると思います。
三つめは、『新しいものを取り入れる精神』です。
西宮市は、青年会議所を全国で5番目に設立、ロータリークラブを兵庫県で2番目に設立と、新しいことにチャレンジする精神が昔から強く、神戸や大阪などの大都市に負けていないと思いますね。
筆者
西宮を、今よりもっと良い街にするために、西宮の大学生や西宮の企業が出来ることは何でしょうか。
太田さん
西宮には、大学多いこともあり、これからの西宮の未来を担う人材がたくさんいます。
大学生がもっと地域と根付いていってくれたら嬉しいですね。
今でも既に、大手前大学や武庫川女子大学が西宮市と西宮商工会議所と共に連携していますが、このように大学と地域が深くつながっていくことを望みます。
そして、西宮市で育った子どもたちや、西宮市で学んできた大学生たちが、神戸、大阪、東京など他の都市に出ていってしまわないよう、西宮で就職する環境を、西宮の企業がもっと作って行って欲しいですね。
筆者
おっしゃる通りですね。
もっともっと、若い人たちを始め、西宮に定着してくれる環境づくりができるよう、ニシマグを通じて私もできることをやっていきたいです。
ちなみに、太田さんが西宮でよく行かれるオススメのお店などはありますか?
太田さん
西宮の老舗の日本料理屋さんはよく好んで行きますね。
『東京 竹葉亭』や『立峰』、日本盛 酒蔵通り煉瓦館にある『花さかり』などが気に入っていますが、
やはり市内の古くからあった『播半』や『鶴屋』などの料亭がなくなってしまって、寂しい気持ちもあります。
筆者
私も竹葉亭の鰻重、大好きです!
西宮の伝統的な料亭が、これからも長く続いていって欲しいと私も思います。
では最後に、太田さんが今後の西宮市に期待することを教えてください。
太田さん
西宮市長のそれぞれのお考えがあるかと思いますが、やはり「夢のあること」を目指していって欲しいですね。
かつて、商工会議所で、「西宮に、研究所村を作ろう!」と『リサーチビレッジ構想』を提唱したことがあるんです。
結果、色々な壁があり研究所村そのものは実現しませんでしたが、そのリサーチビレッジ構想の一端として、北山植物園に植物生産研究センターが設立されたのです。
植物バイオテクノロジーを使って、西宮市のオリジナルの新種の花を開発し、特色ある花と緑のまちづくりを進めるための拠点として、今も様々な取り組みを行っています。
夢のあることを目指すことによって、それが実現しなかったとしても、必ず何か成果が生まれるものだと思っています。
筆者
有難うございます!
太田さんのおっしゃる通り、西宮の強みである「新しい事へのチャレンジ精神」を持って、
これからも「夢のあること」を、行政だけでなく、大学生や、西宮市の企業が一体となって目指していけたらいいですね!
長野県からはるばる西宮に移り住み、測量会社を経営しながら、西宮の多くの分野の団体の設立に携わり、ご活躍され、数々の賞を受賞されてきた太田さん。
当時の事を「本当に忙しかった」と笑顔で振り返っていらっしゃいましたが、お話の節々から、これからも太田さんの西宮への貢献、そして新しいことへのチャレンジは続いていくのだろうと感じました。
太田さんが築き上げてきた西宮の文化の礎を、これからも私たち西宮市民が大切に受け継いでいけるよう、私たちに出来ること、そして「夢のあること」を、やっていけたらいいなと思います。