CULTURE

甲子園辺り今と昔・その4.阪神電鉄武庫川線

「駅全体が武庫川の真上にある」という阪神電鉄の武庫川駅。ここから分岐して川沿いを南へ、武庫川団地まで走っているのが「武庫川線」です。営業キロで1.7キロ、東海道新幹線4編成分というものすごく短い路線ですが、ここは戦中戦後に数奇な運命といいますかいろいろ面白い変遷を辿っています。今回はこの武庫川線に触れてみたいと思います。

武庫川駅のホーム

北端の武庫川駅から終点の武庫川団地駅まで、途中に東鳴尾駅、洲先駅という2つの駅があります。全体で1.7キロの区間ですから、駅間の平均は600メートルもありません。特に東鳴尾から洲先の間は400メートルしかなくて、これは駅間の短い阪神電鉄の路線の中でも最も短い区間です。そう、もし新幹線のぞみ号だったら16号車が東鳴尾駅を出た瞬間に1号車は洲先駅に着いてしまう、という近さです。

武庫川を出て東鳴尾へ

そんな武庫川線を、二両編成の電車が最高速度45キロでゆっくりと往復しています。そして、これだけゆっくり走っていても所要時間は5分です。阪急今津線のように若い二人が出会ったり、中谷美紀がウェディングドレスで後輩の結婚式に乱入するといったドラマが生まれたりする間もありません。

最高速度は45キロです

武庫川線はもともと軍の要請で建設された路線でした。西宮市高須町、いまは武庫川団地が建っている辺りにあった、川西航空機の工場に人や資材を運ぶために開設されたのです。武庫川駅から洲先駅(開通当時の洲先駅はいまの洲先よりも南、武庫川団地駅がある辺りにありました)が昭和18年11月に開通し、翌昭和19年8月にはそれからさらに北へ進んで、国道2号線の武庫大橋駅まで伸びて国道線と乗り継ぎができるようになりました。

平成25年撮影

そしてその年の11月には国鉄の西ノ宮駅から貨物列車が乗り入れられるように、甲子園口まで線路が延ばされます。

実は阪神電車と国鉄では線路の幅が違います。国鉄の方が狭いのです。この甲子園口までの区間は阪神電鉄の車両は通過しなかったので、国鉄の幅で線路が敷かれました。そして両方の車両が通る武庫大橋よりも南側では、どちらの幅の車両も通れるように三本のレールが敷かれていました。三線軌条と呼ばれる珍しい線路です。

グーグルマップを拝借して、武庫川から北の線路を雑に辿る

それから一年も経たない間に戦争が終わって、武庫川線の旅客運送は休止されます。そして昭和23年、武庫川駅から洲先駅(現在の洲先駅)までの間で再開されます。つまり武庫大橋駅から武庫川駅までの区間が旅客営業していたのって、たった半年あまりだったんですね。

しかしその間も進駐軍の要請で、貨物列車は走っていたようです。それも昭和30年頃には休止されたようですが。

朝、阪神本線から回送される武庫川線の車両

結局10年ほどしか使われなかった武庫川駅より北の区間は、いまは線路も撤去されて細長い住宅地になっています。駅から二百メートルほど北まで線路がありますが、これは本線から武庫川線へ車両を引き込むための部分です。その先旧国道の辺りまでは線路はないものの道床が残っています。

急カーブで引き込み線に入っていく

このように北へ向かって伸びていた武庫川線ですが、実はさらに路線の南の端から東へ向かう計画もありました。前回このシリーズでお伝えした阪神尼崎海岸線です。出屋敷から浜甲子園を通って今津へというルートが計画されていましたが、浜甲子園辺りが飛行場になってしまったので断念して、代わりに武庫川線に繋いでしまおうとしたのです。計画は具体的に進んでいて、武庫川を渡る鉄橋の橋脚を建てたところで終戦になり、中止されました。このときの橋脚はかなり後の時代まで撤去されずに残っていて、ぼくも高校の頃まで見ていた記憶があります。

旧国道から見た武庫川線の北の果て

子供の頃からぼくは、近くの公団に住んでいました。自転車で武庫川辺りまで行くのが一つの冒険だったのですが、その頃の武庫川線はさらに短くて、洲先までしかなかったのを憶えています。駅から先は広い広い空き地で、さらにその先は海でした。なんせ「洲の先の駅」ですからね。子供心に「最果てやなあ」と、ここに来るとなんか寂寥とした気分になって、家が恋しくなりました。帰りはいつも自転車を漕ぐペースがはやくなったものです。

武庫川線の赤胴車と、本線を走る青胴車

その後、そこに団地が出来て、昭和59年には洲先から武庫川団地前まで武庫川線は延伸されました。その先の何もなかったところに自動車教習所が出来て、さらに堤防の外には広い広い陸地が出来て、工場がたくさん建って、そして阪神高速湾岸線も通るようになって。いまの洲先駅は終着駅ではなくて、全然「洲先」という感じはありません。そして武庫川団地前駅も駅前にマックスバリュができて、ごく普通の住宅地の駅です。

赤胴車が見られるのも残りわずか

令和2年5月のいま、武庫川線を走っている電車は「赤胴車」とよばれる懐かしい阪神電車カラーの車両ですが、この月いっぱいで新しい車両に入れ替わります。新しい車両は思いっきりタイガースカラーになる模様です。そして現在の車両は、一両だけですが武庫川団地内に展示保存されるようです。