PEOPLE
2026.07.23
ナカムラヨシミ
西宮人vol.23 SANZO K MATSUNAGA
みなさんは最近、どんな本を読みましたか?スマホで何でも解決できてしまう現在、しばらく本から遠ざかっている方も多いのではないでしょうか?
今回は、関西学院大学出身の松永K三蔵さんにお話をうかがいました。松永さんは、デビュー作「カメオ」で第64回群像新人文学賞優秀作を受賞、2024年には、「バリ山行」で第171回芥川龍之介賞を受賞されました。このインタビュー記事をきっかけに、久しぶりに本を手に取ってみませんか。
芥川龍之介賞って、どんな賞?
「芥川賞(正式名称は芥川龍之介賞)」とは、芥川龍之介の業績を記念して創設された文学賞です。一般公募でなく、雑誌に掲載された作品の中から選考委員によって候補作が絞られ、受賞作が決定されます。純文学の新人作家の登竜門とされています。
「純文学」について
筆者
「カメオ」と「バリ山行」を読ませていただきました。どちらも展開が気になり、どんどん読み進めることができました。
『カメオ』 本社からの命令で何としても期日までに倉庫を建てなければならないのに、犬を連れた隣地のクレーマー「亀夫」がたちはだかる。不条理な可笑しみに彩られたデビュー作。
『バリ山行』 会社の付き合いを避けてきた波多は、同僚に誘われ登山に参加する。やがて、同じ会社で孤立している妻鹿(めが)が、六甲山で『バリ山行』(通常の登山道を外れた独自のルート開拓を行いながら登山すること)を単独で登山していることを知る…。
筆者
「カメオ」も「バリ山行」も純文学に分類されますね。「純文学」と聞くと、国語の授業を思い出すような、難しいイメージがあります。
松永さんは、「オモロイ純文運動」を提唱されていますが、そもそも、「純文学」とはどのようなものですか?
松永さん
この世界、そして人間にかかわる普遍的なものを書くのが「純文学」だと考えています。そしてそれは自由に表現されるべきだと思っています。純文学はよく「面白くない、よく分からない。」と言われることもありますが、それは、面白さのために意図として作られたものでなく、書き手の純粋な表現なので、そう思われる作品もあります。前提として純文学は面白くなくてもいいと思っていますが、僕はこの時代に、普段あまり本を読まない人や文学にあまり触れたことがない人にこそ「純文学」を読んでほしいので、そういう人がとっつきやすく「オモロイ」ものを意図して書いています。
筆者
今まで読んだ「純文学」は、まさに「よく分からない」ものが多かったのですが、松永さんの作品は、場所や人物のイメージがしやすくて面白かったです。あっという間に読んでしまいました。
松永さん
ありがとうございます。今はSNSとかスマホが主流の時代なので、現実問題、そこと競わないといけないので、面白さという要素は必要だと思っています。忙しい中で、何時間もかけて読んでもらい、「面白くなかった」って感想であれば、書き手としては申し訳ないと思うんです。貴重なお時間をいただいたわけですからね。
そしてコンテンツとしての本も読むことの楽しさもそうですが、できれば同時に自分のペースで本を読む時間の豊かさ、文章に触れることで巡らせる思考や共感、そういうものを「いいな」と思ってほしいです。

筆者
「カメオ」と「バリ山行」の2冊は、どちらも西宮が出てきますね。
松永さん
書く材料として、地元は肌感としてその雰囲気が分かっているので、やっぱり取り入れやすいですね。
例えば、西宮には、JR、阪神、阪急と電車が走っていて、それぞれに違った雰囲気があります。市内の場所のそれぞれの微妙な違い、これは西宮に住んでいないと分からないと思いますが、実は少しずつそういうものが仕掛けになっていて、わかる人にはわかるという面白さもありますが、またそういう現実の細かいニッチなものの積み重ねが作品のクオリティになると思っています。
AIとの関わり方
筆者
ところで、最近はAIの進化がめまぐるしいですが、松永さんもAIをお使いですか?
松永さん
調べものに使っています。ただ、AIが根拠にしているサイト自体が間違っていることもあるので、二重チェックは必要ですが…。
何かと話題になる、生成AIで文章を作ることに関しては違和感があります。例えば、相手に向けたメッセージなども、AIは「完璧に」「そつなく」こなしますが、そういう文章はすぐにわかりますし、拒否感を感じてしまいます。慇懃無礼(いんぎんぶれい)という言葉がありますが、自分の中から出た「本当の言葉」は、完璧でなくてもいいし、みっともなくてもいいと思うんです。
これからは、そういうハンドメイドのものの価値というのが見直されると思います。形式的なつくりものの「美しい形」の使い方を間違えてはならないと思います。
小説とか純文学っていうのは、読み手に届けるもので、書き手が「よく書けている」ことに価値があるわけではないと思います。どう届けるかだと思うので、破綻していてもいいと思います。そこの破綻具合がその人だし、生きているってことなので、そこを表現するのが純文学だと思いますね。

筆者
私の周りでも、間違いを恐れると言うか、間違いを指摘されることを恐れる人がとても多いと思います。
だから、「いつも正解」を出すAIに頼るのでしょうね。
松永さん
AI以前から言われていることですけど、社会の中で「正解」の幅がとても狭くなっていると感じます。すぐに間違いだと指摘されて、誰もがそんな社会に窮屈さを感じています。
AIですぐに「正解」を調べられ、指摘されることはもっと増えると思います。
仕事において組織から「正解」を求められるのは仕方のないことですが、社会や世界における「正解」はもっと幅の広いものだと思います。
「正解」らしいものにそれを問いかけるのも純文学の役割だと思っています。
完璧に生成された文章というのはひとつの「正解」なのかもしれませんが、創作ということに関しては間違いだと思います。そもそも正解も不正解もない荒野に立つということが文学の出発点だと思います。その枠外の答えのない場所にこそ、人間は存在しているし、そこは間違うことができないAIがたどり着けない場所だと思います。
筆者
確かに、AIは必ず「正しい答え」を出してきますよね。でもそれは、必ずしも正しくないんですよね。
正解の反対は間違いではない。
筆者
今まで、たくさんの経験をされてきたと思いますが、壁に当たった時は、どのように対処されましたか?
松永さん
人生の危機、あるいは壁とも思えるようなことは何度もありましたし、またこれからも起きると思っています。もちろんその時に落ち込み、狼狽え(うろたえ)もしますが、また同時にそれは一面的な見方でしかないということも意識しています。これまでを思い返せば、そういう時にこそ別の道やあらたな発見、また大きな学びがありました。
僕は自分にとって必要なことはすべて与えられると思っていて、でも必要なことというのは、自分が望まないことも含まれていると思います。
痛みというものはできれば避けたいですが、考えてみると、今の自分を作っているものは、そういう痛みだと気づかされます。例えば自分の作品の、あの感覚、これからどうしていこうかなという危機の時のあの手触りは、痛みから学べたところかなと思うんです。
筆者
実際に、さまざまな経験をされているからこそ、読者が共感できるところが多いのですね。

筆者
先ほど、「痛みも含めて、必要なことはすべて与えられる。」とお話しされましたが、最近、その痛みを避けるためか、先回りして「やめておきなさい。」と子供をコントロールする親御さんが多いような気がします。
松永さん
『バリ山行』でも書きましたが、こうしたらこうなんじゃないか、失敗するんじゃないか、ダメになるんじゃないかというのはほとんどが想像の中なんですよね。
実際に行動しないと答えはでないし、実際に失敗しても良いと思います。でも後で考えてみると、それは失敗じゃなかったと気づくことがあります。それを失敗だと思い込むというのは非常に危ないと思います。
「こうしたらこうなるからやめておこう」と言ったところで、その先のその先っていうのは実はわからなくて、まず答えは出さないと始まらなくて、その出た結果に対して、本当の意味を見出すのは自分なのだと思います。
間違いを犯さず、危機を回避して予測ばかりを膨らませてばかりいると、一歩も外に出られなくなります。でもその家ごと爆発しちゃうかもしれない。先のことは何もわかりません。
やりたいことやったらいいと思います。その先のわからなさ、未知の豊かさっていうのが「世界」の豊かさだと思います。
松永さんからのメッセージ
筆者
最後になりましたが、作家や表現活動することを目指す若者にメッセージをお願いします。
松永さん
大切なことは、とにかく前向きに動くことだと思います。今は、何でも調べたら分かってしまう時代だと思います。例えば、プロサッカー選手になりたいとしても、なれるのは数パーセントだと調べられてしまう。
じゃあ別の、もっと現実的な道に行こうかとか、そういうことで自分の人生を選んでしまいがちなんですが、そのパーセンテージって、確かに統計上の正解なんでしょうけど、その確率の元となる自分自身の可能性というのは「変数」なんですよね。つまりわからない。
まずやってみること。全力でやってみて全力で挫折したその先に、自分さえも想像していなかったことが待っていると思います。何かが始まるのは、だいたいそういう時だと思っています。
分かったつもりになるということは、とてももったいないし、危ういことだと思います。
あまり恐れたり不安がったりする必要はないと思います。
筆者
想像のなかで解決してしまわず、失敗を恐れず、まずは挑戦ですね。
やりたいことがあるのは、とても素晴らしいことですよね。ありがとうございました。
取材を終えて
今回のインタビューで、「純文学」を身近に感じられるようになりました。作品の中の風景、音、香りを想像しながら自分だけの時間に没頭できる読書は、やはり楽しいですね。
松永さんのお話にもあったように、私もつい、子供を守ろうとする気持ちからか「空想」で先回りしてしまうことがあります。本人の「やりたい、やってみたい」気持ちが大切ですね。私も、まだまだ新しいことにチャレンジしていきたいと思います。ありがとうございました。









